東日本大震災 被災地の小学生 ~入学から卒業まで~

ph001

1.「津波太郎」の避難所にて

6年前の3月11日。東京の西に住む私は近所の駐車場で荷物の積み替えをしていた。突然、目の前のアスファルトが激しく波打った。すぐに家に帰りテレビをつけた。河川を逆流した黒い巨大な水の塊が、火のついた家屋を押し出しながらビニールハウスを飲み込む。次々と映し出される映像は想像をはるかに超え、911同時多発テロを思い出させた。

 

報道カメラマンの習性でどうすれば取材ができるか考えるが、あまりのショックに何も思いつかず、その日は早く寝た。

翌日、行けるところまで行ってみようと決心し、水・食料・ガソリン携行缶などを車に詰め込んで東北に向かった。

 

目の当たりにした津波の被害は「凄まじい」の一言だった。かつてアフガニスタン、イラク、パレスチナで戦場を取材してきたが、自然災害の破壊力は桁が違った。家・車・アルバム……、何もかもが容赦なく飲み込んで吐き出されたように散乱していた。その光景がどこまでも続く。

しかし、津波より1cmでも高いところにあるものはそのままだった。このわずかな差が命運を分けたと思うとやりきれない。夢中でシャッターを切った。

ph002

岩手県宮古市田老町に入ったのは震災から3週間後だった。古くから津波の被害が多く「津波太郎(田老)」の呼び名もある、人口5000人にも満たない小さな村である。

この避難所で私は2人の子どもたちに出会った。前田九児(きゅうじ)くんと濵崎陽世(ひとき)くん。小学校入学を3週間後に控えた6歳の男の子たちは、避難所の体育館で、疲労の色濃い大人たちの間を元気に走り回っていた。そのとき撮影した写真は、2011年の「小学一年生」と「入学準備号」に掲載され、多くの反響があった。

 

今春2人は卒業式を迎える。あれから6年、私は毎年田老町を訪れ、子どもたちの成長を追い続けてきた。被災された人々の傷ついた心は充分に癒されたのか、小さな漁村はどれほど復興したのか。被災地の小学生が過ごしてきた6年間を報告します。

ph003

>> 2.古くて新しいランドセル

小一01

小一02

▲「小学一年生」2011年6月号掲載記事

小1準01

小1準02

▲「入学準備 小学一年生」2012年入学直前号掲載記事

 

片野田 斉(かたのだ ひとし):
報道写真家。1960年生まれ。明治学院大学卒業後、週刊誌、月刊総合誌を中心に活躍。
2001年9月11日の米国同時多発テロ事件に衝撃をうけイスラマバードへ。以降パキスタン、アフガニスタン、パレスチナ、イラク、北朝鮮などを次々に取材。ニューヨークに拠点を置く世界的写真通信社「Polaris Images」メンバー。
東日本大震災では長く現地取材を継続し、2012年には「東日本大震災記録写真展『日本!天晴れ!』」を5ヶ月半にわたって東京で開催。
著書に、元ハンセン病患者を長期取材した「生きるって、楽しくって」(2012年、クラッセ)、児童書「きみ江さん:ハンセン病を生きて」(2015年、偕成社)、「中国(世界のともだち)」(2015年、偕成社)など。

ph_port

注目記事

\最新情報は公式Xから/

最新記事

もっと見る

SNS

小学一年生

人気記事ランキング

『小学一年生』のコンセプトは、「未来をつくる“好き”を育む」

子どもたちは、誰もがすごい才能を持った天才です。これからは、彼ら、彼女らの“好き”が最大限発揮されることが大切な時代。一人一人がが持っている無限の可能性に気づき伸ばすきっかけとなる誌面を作るのが『小学一年生』の使命です!